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福岡高等裁判所 昭和29年(う)587号 判決

控訴人 原審検察官 米野操

被告人 黒瀬ナミコ

弁護人 三橋毅一

検察官 宮井親造

主文

本件控訴を棄却する。

理由

検察官宮井親造の控訴趣意及び弁護人三橋毅一の答弁は記録に編綴されている原審検察官米野操提出の控訴趣意書及び弁護人木下重範提出の答弁書記載のとおりであるからこれを引用する。

検察官の控訴趣意第一点について、

しかし刑法第二百条にいわゆる配偶者の直系尊属とは生存配偶者の直系尊属のみをいい配偶者が死亡して配偶関係の存在しない場合即ち配偶者たりし者は含まないと解するを相当とする蓋し刑法第二百条には「自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ云々」とあり文理上行為当時において婚姻関係即ち配偶関係の現存する者の直系尊属をのみ規定し行為以前既に婚姻関係即ち配偶関係が消滅した配偶者たりし者の直系尊属は包含しないものと解すべきだからであるこのことは刑事訴訟法第百四十七条第一号に「自己の配偶者-又は自己とこれらの親族関係があつた者」民事訴訟法第三十五条第一号に「裁判官又ハ其ノ配偶者若ハ配偶者タリシ者」同法第二百八十条第一号に「証人ノ配偶者-又ハ証人ト此等ノ親族関係アリタル者」と規定せられ又親族関係その他の身分関係があつたことをも含む場合における各規定(刑法第百九十七条の三刑事訴訟法第二十条第二号第百四十四条第百四十五条第一項第一、二号第百四十九条)の文言に徴し自ら明白である。

検察官は刑法第二百条にいう配偶者の直系尊属とは配偶者が死亡している場合でも残存配偶者が姻族関係消滅の意思表示をしていない限り死亡配偶者の直系尊属をも包含するものと解すべきであると主張し被告人が所論残存配偶者でありながら姻族関係終了の意思表示をしていないことは記録上明瞭であるがしかしながら刑法第二百条は子の親に対する道徳的義務をとくに重要視した規定に外ならない(最高裁判所昭和二五、一〇、一一大法廷判決判例集四巻一〇号二〇三九頁参照)と解すべきところ配偶者の一方の他の配偶者の尊属親に対する道徳的義務を考察するに配偶関係現存の場合と配偶者の一方が既に死亡して配偶関係がなくなつた場合とは自ら差等のあるべきことは理の当然でありしかして又民法第七百二十八条によれば夫婦の一方が死亡した場合において死亡配偶者の血族と生存配偶者との間の姻族関係は生存配偶者が姻族関係を終了させる意思を表示したときに終了するものなるところ旧民法では妻の死亡の場合の夫と妻の血族との間の姻族関係は当然に消滅すると解せられたのに新民法では姻族関係終了の意思表示なき限り姻族関係は継続する従つて検察官主張の通りとすれば旧民法施行時には妻の死亡後妻の尊属を殺した夫は常に刑法第百九十九条で処罰せられたのに対し新民法の下においては姻族関係終了の意思表示をしない限り刑法第二百条を適用される更に旧民法では夫が死亡した場合における夫の血族と妻との姻族関係は去家により消滅したのであるが新民法では姻族関係の有無を妻の意思表示に係らしめた結果未亡人は婚姻前の氏に復し或は再婚して別の氏を称しても尚前婚中の舅姑との姻族関係の継続する場合もありこれに反して舅姑と同居し同じ氏を称しながら姻族関係を消滅させることも出来るのでありしかもこの意思表示は未亡人のみの戸籍届出に限るのである(戸籍法第九十六条)換言するとこれ亦検察官の主張に従へば未亡人の単なる意思表示の有無により再婚して別の氏を称しても前婚中の舅姑は刑法第二百条の尊属なるに拘らず同居して同じ氏を称する舅姑は同法の尊属に該当しない場合もありうるかかる差異については刑法第二百条が子の親に対する道徳的義務をとくに重視する規定だと解する限り到底是認し得ないところである況んやこれを本件について見るに被告人は新民法の姻族関係終了の意思表示に関する規定の存在を知らず従つてその届出をしなかつたことが記録上認められ若し被告人が右規定を知つていたならば当時の状況からいち早くその届出に及んだだろうとも窺えるのである尚新民法においては旧民法における法定血族としての継親子及び嫡母庶子関係は廃止されこれらの間に法律上親子関係の存在しなくなつたことをも考慮すべきであろう。

次に裁判実務の面から観察しても刑法第百九十九条は「人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ三年以上ノ懲役ニ処ス」と規定し同法第二百条が「死刑又ハ無期」と規定せるに比しその短期刑において異なるもその極刑においては差異がないのであるから情状により極刑を以て臨まねばならぬ場合においても第百九十九条でまかないうるのみならず本件の如く情状特に憫諒すべき場合に第二百条によるときはいかに減軽するも懲役三年六月を下ることができないのに反し第百九十九条を適用すれば優に刑の執行を猶予するを得て真に事案に則した妥当な量刑にも達することができる。

右に掲げた諸点に思を致すとき刑法第二百条の配偶者は前示の如く生存配偶者に限定すべきであつて検察官所論の如くこれを配偶者たりし者にまで拡大して解釈することは前記不当の結果を生ずるだけであつて何等の益なきものと言わざるを得ない所論引用の判例は刑法第二百条の犯罪成立後法規の改正により直系の尊属の身分を失つた場合をその要旨とするものであつて本件に適切でないされば原審が原判示事実を認定しこれに刑法第二百条を適用せず同法第百九十九条を適用したのは相当であつて原判決には何等法令の解釈を誤り引いて法令の適用を誤つた違法は存しない論旨は採用しない。

同控訴趣意第二点について、

所論は本件については刑法第二百条を適用処断すべきことを前提にし原判決の刑は軽きに失すると言うのであるが本件が刑法第百九十九条を適用すべき案件なることは前段説明の通りであり記録を精査するも原審の被告人に対する刑の量定はまことに相当でこれを不当とする事由を発見することができないので論旨は採用することができない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に従い本件控訴を棄却することとし主文のとおり判決する。

(裁判長判事 下川久市 判事 青木亮忠 判事 鈴木進)

検察官の控訴趣意

第一点原判決は法律の解釈を誤まつた結果法令の適用を誤り且その誤が判決に影響を及ぼすことが明白である。

原判決は、「刑法第二百条にいわゆる配偶者の直系尊属とは犯行当時現に生存している配偶者の直系尊属のみをいい、犯行当時配偶者が既に死亡して配偶関係の存在しない場合即ち配偶者たりし者の直系尊属を含まない」と解釈し本件に対し刑法第二百条を適用すべきであるという検察官の主張を排斥して刑法第百九十九条を適用した。

しかし凡そ刑法第二百条にいう配偶者の直系尊属とは、現に生存している配偶者の直系尊属をいうのみならず、既に配偶者が死亡している場合でも残存配偶者が姻族関係消滅の意思表示をしていないかぎり死亡配偶者即ち犯行当時既に死亡している配偶者の直系尊属をも包含するものと解すべきである。

本件においては、原判決が挙示した福岡県嘉穂郡二瀬町長野一生作成に係る黒瀬ナミコの戸謄謄本(記録第一九一丁)に徴するに被告人は夫儀一が昭和二十八年四月六日に死亡した後同人の血族との間の姻族関係を消滅せしめる意思表示をしていないことが明らかであるから儀一の実父である被害者高橋柳太郎は被告人にとつて配偶者の直系尊属に該当し、同人を殺害した被告人の所為は刑法第二百条に該当するものといわなければならない。

原判決が右のように刑法第二百条を解釈した根拠は同判決理由中に詳言されているところであるが、之を要約すると、他の法令の立言方法と対比し文字通り現に生存している配偶者の直系尊属のみを指すとする文理上のそれが一であり、更に刑法第二百条は普通の殺人罪よりも特にその情重しとして自己又は配偶者の直系尊属を殺した場合を抽出した同法第百九十九条の特別規定であつて既に配偶者が死亡しているときはその生存中に比し死亡配偶者の直系尊属との親疎の情に差別があつて、刑法第二百条の極刑をもつて臨まなければならない程その情が重くなるのであるから現に生存している配偶者の直系尊属を殺害した場合と同じ様に刑法第二百条で処断する必要がないとする実質上のそれが二である。

しかしながら原判決にいうが如く、配偶者が死亡した場合残存配偶者が一方的に姻族関係消滅の意思表示をなし得る立場にあるからその意思表示をせずして姻族関係を継続しているといつても姻族関係の消滅している場合とその親疎の情に差別がないとする見解は到底承服することが出来ない。何となれば、一方的に姻族関係消滅の意思表示をなし得る立場にある残存配偶者がその意思表示することなく姻族関係を存続せしめている所以のものは、配偶者が死亡しても猶配偶者が生存していた時と同じ様に親疎の差別なく姻族関係を継続しその直系尊属を依然として最も親近な所謂親として仕へようと自ら欲求しているからに外ならないのであつて、死亡した配偶者の直系尊属と残存配偶者との親近の情は配偶者の死亡によつて毫も変らないものである。

然りとするならば、現に生存している配偶者の直系尊属を殺害する所為と、配偶者が死亡した後姻族関係を継続せしめている残存配偶者が死亡した配偶者の直系尊属を殺害する所為とは、その情において差別のある理由なく、均しく刑法第二百条をもつて律すべきであると解する。

更に原判決挙示の昭和二十七年十二月五日最高裁判所判例(判例集第六巻第十二号一四四二頁)は本件と恰も同じ事案について刑法第二百条の適用を是認している。該判例の要旨は刑法第二百条の犯罪成立後従来の民事法規によれば直系尊属であつた者がかりにその改正によりその身分を失ふに至つたとしても、かかる場合を、犯罪後の法律によりその刑に変更があつたときということはできない」とするのであるが………本判例は死亡した配偶者の直系尊属と雖も未だ犯行時姻族関係存続する場合においては刑法第二百条にいう配偶者の直系尊属に包含されるとする見解を前提とするものであつて、原判決のように犯行時配偶者が死亡しているときは姻族関係を継続しているか否かに拘らず刑法第二百条にいう配偶者の直系尊属にあたらないと解するときは、判例のように残存配偶者が死亡した配偶者の直系尊属を殺害した場合について姻族関係が存続していたかどうか又その姻族関係の有無は犯行時の民事法規によつて定むべきであると判示すべき理由がないこととなるのである。

彼之考察するときは、原判決は、本件について刑法第百九十九条を適用処断したのは同法第二百条の解釈を誤まつた結果であつて右の誤は判決に影響を及ぼすことが明白であると信ずる。

第二点原判決は刑の量定が軽きに失するものである。

原判決は、被告人に対し懲役三年三年間刑執行猶予の言渡をしたが、本件は刑法第二百条の尊属殺人罪の規定を適用処断すべきもので同条の規定する刑名刑期は死刑又は無期懲役であるから、仮令法律上の減軽又は酌量減軽を施しても原審の刑は法令に基かない違法がある。

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